古家智嗣の萌えスロ養分日誌

古家智嗣です。大学生やってます。このブログでは、自分の萌えスロ養分稼働を書いていきたいと思います。どこまで負債が伸びるのか?見守ってくれたらうれしいです。

スロットが勝てなくなった日 ~非等価の恐怖~

こんにちは、古家智嗣です。

 

先日のガルパン事件から、ホールに行っていません。

もう1ヶ月以上スロットから離れています。

ホールに通うようになってから、これほど足が遠のいたのは初めてかもしれません。

そのため新しく言及する事項が見当たらないので、

今回は自分が養分になった過程を書いていきたいと思います。

 

自分も大学生なので、スロット歴はそう長くはありません。

しかし、スロットを始めた当初は割と健闘していました。

勝つ日、負ける日色々ありましたが、

1年以上20スロでも±ゼロ付近を行き来していました。

そのため、当時スロットはそれほどお金をかけずに遊べる娯楽という認識でした。

 

しかし、今から1年半少々前でしょうか、

「ある日」を境に突然勝てなくなりました。

数か月で50万円近く負け、貯金をおろさなくならなければなった頃から、

パチンコ屋に怖さを感じるようになりました。

そして、遊びたいが負け過ぎたくないという考えから、

紆余曲折を経て今の低貸専門という打ち方に至ったわけです。

 

問題は、この「ある日」です。

これが何の変哲もない一日から始まったとしたら、

単にビギナーズラックが切れただけという結論で落ち着きます。

しかし、実態はそうではありません。

 

当時、健全運営という名目で全面非等価の

動きが広まっていたことは周知のことだと思います。

自分にとって転機となった「ある日」とはまさに、

自分の地域でも非等価になったその日です。

 

この日を境に、勝ったり負けたりする日常は変わりませんでしたが、

金額的には勝ち額が負け額に対して明らかに少なくなりました。

そして、負債が積み重なっていったわけです。

 

ただ、養分になった過程は自分にも責任があります。

 

知っての通り、非等価は玉やメダルを借りるたびにギャップが生じ、損をします。

従って、出玉再投資や貯玉・貯メダルといった戦法が常識です。

しかし、自分は等価交換の頃と打ち方を変えませんでした。

そのため、非等価の罠にはまり、ズルズルと後退してしまったのです。

 

こうしてみると、明らかに自己責任で養分になってしまったわけです。

ただ、無為無策でいたのは何も原因がなかったわけではありません。

 

当時自分が主力としていたのは、ホールにあっても1,2台しかない

マイナー台の「スカイガールズ2」でした。

従って、台が埋まっていたり、明らかな低設定っぽい時は別の店…

という探し方をしていました。

多い時は一日に6,7軒回ることもあったのです。

そのため、その日打つホールも次はいつになるか…という状況だったので、

貯メダルがしにくかったのです。

全部会員登録してやれという方もいるでしょうが、さすがに面倒過ぎました。

 

現実問題、全面非等価という現状では、

一つのホールで出玉再投資や貯玉・貯メダルを活用し、

特定の機種に偏ることなく設定の入っていそうな台を

狙い撃ちしていくという戦法でなければ、

安定して勝つことは難しそうです。

 

それに対し、自分はほぼ萌えスロしか打たない上、

スカガ後はガルパンオンリーになっていったように、好みも激しいです。

しかし、打ちたいから打つんだ、萌えない台は打ちたくないんだ、

などという甘い考え方ではとても非等価は乗り切れそうにありません。

 

以前にも書きましたが、勝つことと楽しむことの両立は難しいものですね。